緑茶化ネットワーク★裏ホームページ
りょくちゃ~ずの愉快痛快な生活ぶりを人知れず公開。
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こんにちは、ゲーリーです。


病院行って参りました。
結果、脊椎側わん症ですってよ。
なんか首と腰の骨が歪んでた。
素人目に見ても歪んでた。
ちなみに10度と12度。
あ、今たいしたことないやんて思った?思った??
てか30度とか曲がってたら死んでるから。
分度器で測ってみなよ!!
10度でもすごいから!!
って誰にキレてんだ、あたし…。


おかげで今日はバイト休んでしまったよ。
立ってるのも辛いんだー。
しかし明日もバイトなのですよ。
年末までしっかり働いておりまする。


なんかリハビリで治るらしいからよかったけど。
でも癖みたいなのがついてるだろうから、治ってもまた再発するんちゃうかなぁ?
あたしデスクワークのがやっぱり向いてるのか。
バイト生活ここにきて危うい感じです。
がんばります。


さてさて今年も残すところあと1日。
今年はなんか夢も(いちおう)叶って、いろんな人達に会うことが出来てあたしの今までの人生の中でもかなり充実した年だったなぁ。
関係者の皆様多謝でございます。
来年もよろしくお願いいたしますー。
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ハカセです

今、勉強していて一つ、明らかになったことがあるから紹介。これはねぎちゃんと調査している時にハカセがずっと疑問に思っていた中国の政策について。

1980~00年にわたって、政府から地元住民が荒れ地や空き地を自分の林地として使用する権利を与えられていたことについて、これちゃんとした政策として発表されていたよ。


シュウシンさん、グルムトさん、村長、ワンモージャンさんなんかが個人の林地を畑のほかに持っているでしょ?聞き取り調査では、K池さんからもらったということもあるけれど、柵代さへあれば林地げっとできました。的なことをよく聞いたよね?
<br>
中国では1970年末以降、文化大革命でたくさんの林地が破壊されてしまった。また改革開放後は目覚しい経済成長を遂げ、その代償として自然破壊が進んでしまったわけ。ただ、国際的な流れとして1972年に開かれた世界サミットでは環境保全が歌われるようになった。つまり、国際社会に出て行こうとする発展途上国は環境に優しい国で無ければならないということ。イコール自然破壊が進んでしまった中国はなんとしてでも
自然保護を訴えなければならなくなったのよ。そこで、1979年には中国で初めて森林法が制定されたり、それに先駆けいろんなところで緑化(主に造林)が進んだわけ。
この流れを受けて、1980年代に「荒地、家、道路わきの空き地、食糧生産に不適切なアルカリ土壌の土地は、すべて農民に分け与え、速農民が自留地で苗木を育てたり、木を植えたり、速生農産林を発展させたりうるのを許すべきである」として、森林法でもこうした地元住民が手に入れたあらたな林地の使用権をしっかりと認めている。この目的は、政策面や法制面でもいろんな刺激を与えて、植林、造林に農民の力を動員しようとしているというものらしい。
つまり、私が言いたいのは、シュウシンさんたちがゲットした土地というのは、瓦房だからOKというわけじゃなく、こうした政策の流れを受けて実現したものということ。


しかーし、現在は土地地目を明確にする流れがあるので、昨年くらいから、この流れはストップされちゃったのよね。例えば、荒地であってもそこが放牧地の一部であれば、荒地でなく「放牧地」となり、個人が林地にするために勝手に柵でかこったりしちゃだめよってこと。だから、1980~00年までにいち早く行動して林地をゲットした人はラッキーな人なのです。メンテナンスとか大変だけど、多くの人がその土地を使って耕作しているから、収入も上がるしね。まっ、そんなかんじ。


ねぎちゃーんわかった?
ハカセです

昨日は、大学時代からの友人たちと総勢10名で忘年会兼ハカセお帰り飲みをしたよ。大学が横浜にあるから、もちろん集合場所は横浜ということで、めちゃんこ飲む気まんまんっ。だって、私は横浜から電車で20分のところに家があるからねぇ~。


飲み会が開始するなり中国のお菓子を食べさせたら、みんな絶句していた。ははっ。この顔が見たかった。すぐに乾杯ビールが来たから、みんな美味しそうにビールを飲んでいたよ。


話はすぐに私の酒特訓になった。農村では50°以上の白酒を飲まされていたから、だいぶお酒強くなったよ。といきがって見せたわけ。そいで、みんながそれならテキーラだよという流れに。テキーラって白酒に比べたら度数低いだろうと甘く見ていた私。余裕で、「OK!」とアメリカンアンサー。まさか、テキーラとはいっきで飲むものとはつゆ知らず。お酒が来るなりみんなへんなテンションで「何とか~!!」と叫んで、テキーラをいっきのみした。(この時既にビールをたらふく飲んで、酔っ払いになっていたので、なんて言っていたか忘れた)


テキーラは白酒より全然のめるって、余裕な私。面白くなってそのあと3杯同じことをした。多分ね、調子乗っていたんだろうな。久々にあった友達達は、私が何をするでもなくいろんなことをわかってくれるし、落ち着ける。この感覚がたまらなく嬉しくてね、やっちゃったんだよ。


飲み会開始2時間後の記憶はしっかり有る。ただ、電車で帰宅中の記憶がねぇ、最悪。ガタンゴトン揺られる電車でコクコク眠ってしまった私。コクコクやりすぎて、隣に座っているおねぇさんに何度も肘鉄食らわされて、意識朦朧とするなか、にらみ返すというバカな行動をとってしまった。2、3度目の肘鉄でついに怒りが頂点に(多分この現象は中国滞在が長くなってしまったからだと思う)、バサッと顔を起こして猛烈なるにらみを利かそうとした瞬間、うっ、、、、吐きそう。それから、にらみをきかせるどころかそわそわし始めた私。早く、つけぇつけぇ~。と心の中で叫びまくり。ようやくついたどっかの駅で降りた私はそのままトイレへ直行!!やってしまいました。帰国第一発目は忘年会となりましたよ。まっ、でも今回は道路の真ん中でやったわけでなく、トイレですからね、いいとしよう。


吐き終わると何事も無かったかのようにすっきり。意識も回復したのでOK。ただ、飲み会のことを思い出してすごく恥ずかしくなった。みんなにお酒飲める女になったぞって言ったのに、前と何も変っていないジャン。あーあ。恥ずかしい。


テキーラって一気で飲むなんてさ、知らなかったよ。あれ、ちびちびやればこんなことにはならなかっただろうなぁ。あーあ、ってかんじで今日になってもまだ恥ずかしさはのこるハカセでした。
こんにちは、ゲーリーです。
東京での忘年会に参加できず、一人すね気味。
だってボランティアーズも緑Nスタッフもみんな関東人なんだもの。
ハカセや姉ちゃんのシティスタイル見たかったな~。
いや関西が好きなのでいーんですけどね。
しかしハカセがシャネル愛用とは…。
知らんかった…。
中国じゃペンキの頬紅つけてたくせにねー??


それはそうと、ゲーリー只今日本でバイト生活してます。
某ドラッグストアです。
中国で散々イタイ目にあいながらも薬を売る日々。
そして重い荷物(ドリンクとかペットの缶詰とかシャンプーとか)を
持って作業してたからかなんなのか、今日腰を痛めてしまいました。
ちょっと走った瞬間「グキッ」っとね。
あれですよ、漫画ならその瞬間ガイコツになってます。
そして歩くのもままならず、しかし早退することもできず仕事終わらせて帰ってきました。


昔正社員をやっていた頃、一日中パソコンを触り、クーラーにやられ残業100時間を超える業務をこなしたところ座骨神経痛になってしまい
たぶんそれが再発。
明日整形外科行ってきます。
まさか今年2回も整形外科にお世話になる羽目になるとは思ってもみませんでした。
無事を祈っててくださいませ。
無事じゃないと新年スタッフの集まりに参加できないよーー!!
長時間バスとかムリやから…。
ハカセです

12月22日東京の地下チューで忘年会があったから、うっきうっきで参加してきた。その日はなぜか講義があったから、集合時間に間に合わず30分も遅刻して会場に到着。でも、会場にはお父さん、大魔神、ねぎちゃんとドコモ6次隊の2名様と、若く見られるお父さん、野口さんくらいしかいなかった。



実はこの日、ねぎちゃんと私は帰国後最初の顔あわせ。めちゃんこどきどきしたよ。いやぁ、どんな顔して会えばいいの?みたいなね。だから、始めはまともに顔を見ることが出来ず、お互い照れくさそうに再会を喜んだ。なんか、この雰囲気、めちゃ気持悪かったわぁ。


この日のねぎちゃんは、髪の毛をしっかりセットしていて、見慣れたスニーカーや紫のパンツ、水色のブルゾンはすっかり脱ぎ去って、都会人のように着飾っていたね。いやぁ、らしくないわぁ。って心の中で思っていたら、次々に遅れて登場した緑化隊のみなさんに「ハカセさん、なんか現地と違っておしゃれですね。」やら「浮いてる。」やらのコメントを頂戴して、おいおい、私がおかしんじゃん!?ってな心境に陥ってしまったよ。えぇ~っ?そんなに私のシティルックがいけないかなぁ?


まっ、確かにこの間は気合入れすぎちゃったわ。だって、久々の東京だもん。田舎から出てきた私はそりゃね、力はいるわぁ~。


ただね、一個だけ気合が入らなかった部分があったよ。それは「化粧」。何を隠そうこの私、化粧が好き。意外といいもんつけていたりする(例えば、シャネルの頬紅とか)。4月に内蒙古へ行くまでは、結構念入りに完全メイクを施して大学へ行っていたのです。しかーし、帰ってきて、化粧品さんたちと触れ合うのが面倒くさい。苦労して手に入れたシャネルの品々は化粧棚の中で冬眠してるよ。自分にとっては意外なエピソードだったりするんだよね。人って変るのねぇ~。すっぴんが気持ちいい。クリスマスの日、ちょっと気合を入れてますからしてみたんだけど、目がやたらとでかくなって気持悪かったから封印した。そんな感じ。やっぱナチュラルが一番じゃないですか!!

九頭山でにっこり




忘年会では、日本上陸初の生ビールを飲んで感動!!やっぱり、ビールは苦くて何ぼでしょう!!そういえば、夏はよく生中がのみたーいって発狂していたよね。いやぁ、日本の生中は発狂するに値するほどうまいわ。


忘年会、いろんな人にまたあえて結構嬉しかったな。ただ、みなさん全然現地と印象が違うから、はじめは照れくさかったね。そういえば、これから緑Nは国内事業も豊富になるとかで、こうした機会を利用していろんな人と再会していきたいなぁなんてね。


さぁてと、また研究開始しよっと
ハカセです

今日はクリスマスだというのに、研究室にいます。寂しい寂しいクリスマスというのは嘘(え?ほんと?)まっ、楽しいクリスマスでした☆


クリスマスといえば、北京のクリスマスはそれはそれは質素だったな。北京に行く前にねぎちゃんに「バブリー北京のイルミネーションが見たい!!」と懇願していた私。でも、北京に行ってみると東京駅のミレナリオや、横浜ランドマークのツリーに勝るイルミネーションは無かった。街中で「サンタのおっじさんは言いましたぁ~♪」なんて、はしゃいだクリスマスソングもかかっていない。マジ?これがバブリー北京のクリスマスなの?と驚いちゃったよ。


ねぎちゃんが王府井ならあるかもしれないよ?というので、ふらふらと歩いていって、やっと見つけたイルミネーション!!でもね、あったのはこれだけ。完全に店の看板に負けているね。


DSCF7070.jpg

質素な町並み
DSCF7072.jpg

ビルのガラスに光るツリー
なんか、ほんとにがっくり。でも、少しだけほっとしたかも。まだ北京って発展途上なのね?という印象。クリスマスを盛大に祝うのは経済成長のしるしなのかも知れない。そういえば、来年から北京での爆竹が解禁になったそうだね(大山羊さん情報)。だから、北京も来年あたりからドッカーンとしでかすかもなぁ。
ねぎでーす。



帰国間近の12月10日、プロジェクトは実行された。

そのプロジェクトとは瓦房3分場のジョナムラ家でハカセとねぎが日本料理を作り、お世話になったジョナムラ家、アルタマ家、トンラガ家の皆さんに食べてもらうことだった。ねぎたちが日本で普段どういうものを食べているのかを知ってもらうために。メニューはシチュー、肉じゃが、かぼちゃの甘煮、ちらし寿司、五目御飯、プリン、そして日本料理が口に合わなかった時のための保険として宮爆肉丁(胡瓜とピーナッツと肉の炒め物)、トマタマだ。

農家の竃は火をおこさないといけないので、時間のかかるシチュー、肉じゃがはカンヂカで作って、鍋ごと車で運ぼうというのが当初の予定だった。が、なんとプロジェクト実行の2,3日前に車が故障。無残にも計画は振り出しに戻ってしまった。それどころか大量の材料を担いでバスに乗らなければならなかった。考えたハカセとねぎは、シチュー、肉じゃがを凍らせ、それ以外の材料も全てハカセのバックパックに詰めて持っていくことにした。

シチューは2日前、肉じゃがは前日のうちに作り外に出しておいたら当日朝、見事に凍っていた。そう、外はもう既に-20度の世界。天然の冷凍庫だ。外に出れば鼻の中も凍るし、肌の露出している部分は20秒ほどもすればチクチクと突き刺さるように痛くなる。写真を撮ろうと手袋をはずし、カメラを構える頃には既に手はかじかんでいるのだ。



早速凍った2品と全ての材料をバックパックに詰め、出発した。カンヂカから瓦房まではいつものバス。瓦房からはちょっと大きめの1元タクシーが私たちを待ってくれていた。夏場は毎日日産車で行き来していた道をこの日は1元タクシーで揺られること15分、人数オーバーだったのか、途中パンクもしながら3分場に到着。(ごめんね、運転手さん)1元タクシーを降りるとカンヂカでは吹いていなかった強い風が吹いていた。顔が痛い、ちぎれそうだ・・・。ジョナムラ君の家まで50mほど歩き、到着。ジョナムラ君の家族に迎えられ、休む間もなく早速支度を始めた
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しばらくご無沙汰のねぎ姉です。

実は12月16日に帰国して今はもう日本にいます。帰国前はバタバタしていたのでブログを更新できなくてすみません。まだシリーズ「あたしと~」が終わっていなかったので、今日は最終回の「あたしとハカセ」をお届けします。



ハカセとの出会いは、2005年2月に行われた本家の活動報告会だ。そこでハカセは2004年度の滞在報告をし、ねぎは遠目でそれを見ていたのだ。感想は「この子、よく手が動くな~」だった。そしてその後の懇親会で色々とお話できるのかと思ったが、ハカセは「お母さんがインフルエンザで~」ということで参加できなかった。でも今年お世話になるので形式程度の挨拶を交わした。印象は「結構強そうだなぁ、コイツとやってけるかなぁ・・・」だった。(←相変わらず斜に構えるねぎ)
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ハカセです。

そういえば、一つ言い忘れたことがあった。北京での出国審査時に審査官が「パスポートの顔と全然違うから、出国を認められない。」と言ってきた。えっ・・・・・帰れないんですか?私。


パスポートは5年前に作ったもので、当時私は19歳だった。たった5年でそこまでふけこんだの?と落胆。結局、中国で作った健康診断書の証明写真を見せてOKになったけど。


出国拒否されたよ、私。若干24歳の冬の出来事でした。
ハカセです。

今日は12月20日。帰国して4日も経ちました。帰国して最初に思ったのは、「なんてあついんだ!この国は!!」ということだったよ。いやぁ
~、なんかあんまり感動は無かった。どちらかというと、このまま出発ロビーに戻って、また内蒙古へ向けて帰りたいという思いが高まるばかり。


今日は朝から携帯電話を購入した。今度の携帯は国外でも使える携帯であーる。しかーし、瓦房で使えるかは疑問。瀋陽が近いから電波のおこぼれに頂戴できないかしらん?とのんきなことを考えている。なんか携帯を買ってしまうと、とたんに日本人に戻った気になる。4月に日本を出る前は、携帯電話が気になって仕方が無い人だったから、またそういう人間に戻りたくないなぁっていうのが正直なところ。だけど、ついつい癖で携帯電話は研究室の私の机にどーんと置いてある。


帰国して、一番嬉しかったのは母が元気で何もかわっていなかったこと。顔色も健康そのもの(多分、ミキプルーンをこよなく愛しているからだと思う)だった。母ちゃんは、小さい癖に気が強いところ、会社の愚痴をついつい言いすぎてしまうところ、子供を愛するあまりに甘やかしてしまいがちなところが特徴、そんなんも全然変わっていないから、なんだか安心してしまった。我らおやこーずは「帰国した日はやっぱりあそこの寿司だよね!」と、帰国前から地元の美味しいと評判のすし屋に行こうと計画を立てていた。会社帰りの母ちゃんを待って、二人はいよいよすし屋へ!!「この日をどんなに待ち望んだことか、やっぱり日本人は魚だぜいっ!!」と張り切りハカセ。



そして、いざすし屋についてみるとすし屋は歯医者に変っていた。「母ちゃん、すし屋お星様になっちゃったみたいだね。」(まじかよ!!わたしの卵子がぁ~)「うん、気の毒にね。どうしよっか?」(いやぁ~、かあちゃん認めないでよ~!移転したといって移転したと!!)「この辺、おすし屋さんないのよね。困ったわ。」(あっ、母ちゃんショック受けてる。こりゃまずい)「私さ、現地でハンバーグが食べたかったのよ。ほらほら、隣の洋食屋がある。ここも美味しいからこっちで全然OK!!」ってなかんじできまづい空気を打破するよに、二人は隣の洋食屋へ行った。


次の日、母ちゃんは魚の干物を大量に買ってきた。しかも上等な品々ばかりをずらっと3種類=15枚。そして、一気に5枚を焼き上げ「ハカセちゃん大好きな焼き魚、ぜ~んぶ食べてね。」(母ちゃん、ありがとう。でもね、ちょっと多すぎだよ?)「ほら、イカのバター焼きもあるからこれも食べてね。」(ワッオー!!)「そして、じゃーんワインもあるんだから。これも飲んでね。」(おいおい、今日はクリスマスか?)「デザートはね、月餅よ。」(あら、中国カムバ~クッ)
私、母ちゃんの愛情に応えて全部たいらげた。それはそれは大変おなか一杯になったわけよ。でも、とっても嬉しかった。あー我が家って日本って最高!って。



次の日の朝、奴がやってきた。そうゲーリー。私は日本食を食べてゲーリーになってしまったのです。まじ!この体日本に適応していないの?あたしは何人だ!!この現象は本当に意外でびっくりした。このゲーリーさん実は今も続いている。

<br>
このように私の日本生活はゲーリーで始まったのだ。今日は研究室で早速勉強開始!!と思いきや、メールを送って時間がおわりそう。明日からまた本腰入れるかというところ。かあぁちゃん、一人だから早く帰ろうかなぁ。
そういえば、みんな元気にしているのかなぁ?つい最近まで、自分の枕の横にはねぎちゃんの顔があったんだよなぁ。なんか夢の世界だったように感じる。ただ、電車の窓から外を眺めていると、帰国するまでの現地の生活が走馬灯のようによみがえる。一言で言うなら「楽しかった。」今年、長期間滞在してよかった。この4人と多くの人達に出会えてよかった。一生忘れない。あの生活はもう帰ってこないけど、あの生活のおかげで私頑張れるっ!!さぁ、やるぞっ。
ハカセだよ。

今日はまたねぎちゃんが3分場のトンラガさんの2番目の弟宅で、号泣しました。ねぎちゃんだけでなく、そこへ集まってきた人全員が号泣しました。みんな、いろいろな思いがあって泣きました。故郷を思う人、3分場を思う人、その場に感動する人。私は幸福感に満ち溢れて泣くことができなかったけど。

私は今年で2年目の3分場滞在になるけれど、地元住民+ねぎが全員泣くということは見たことが無い。ほんとに素晴らしい時間を過ごせたとおもった一日。

でも、今日は調査のことが終わらないから明日書くことにします。そいじゃ、おっ楽しみ。

追伸:ねぎちゃんは一時間強泣いておりました。
ねぎ姉です。

「あたしとゲーリー」に続き、お次は「あたしとバーダイフ」をお送りします。



バーダイフがボランティアーズの仲間入りしたのは、ハカセが一時帰国中の8月2日のことだった。しかしちょうどその日、ゲーリーとねぎは緑化隊のお見送りで瀋陽に出張していた。そして瀋陽から戻った8月3日の夜についに初顔あわせをした。第一印象は、表情も結構険しい感じだったので、「わ~、今時の若者だー・・・。この子、一緒にやっていけるだろうか。まあでも滞在期間は2ヶ月くらいだというし(結局3ヶ月だったけど)、当たり障りのないようにすればいいや。」と、相変わらず人見知りのねぎだった。バーダイフも「私は人と交流するのが面倒で」と言っていた。バーダイフのしゃべり方は本当に今時の若者調だった。そこが体育会系なねぎを斜に構えさせたのだ。「お前もっとしゃきっとしたしゃべり方できんのか!そのしゃべり方じゃ社会人やってけないぞ!」っていつかキレそうだった。(まあ結局仲良くなった後に言ったけどね
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都会に出るとゲーリーになるハカセです。


11月25日~11月30日まで内モンゴルの首都「フフホト」へ行って参りました。現在(こうみえて実は)内蒙古農業大学の留学生(生態環境学院)であるハカセ。12月に帰国するので、今回の訪問目的は内蒙古農業大学の担当教官に一年間のお礼を申し上げること、今年の研究成果を伝えること、資料を集めることだった。だから、決して日ごろのねぎちゃんのお説教から逃れて羽を伸ばして遊ぶわけではなく、お勉強にいったのであ~る。


4月にはじめて韓先生や保証人の曹さんとお会いしたときは、知っている中国語といえばニーハオとシェイシェイぐらいだった。だっから会話はぜ~んぶ英語。日本人だから全員英語を話せるという印象がついているらしく、Bダッシュ級の速さでイングリッシュトーキング!!汗だくになって、ターゲットで確か覚えた単語をつらつら並べて対応する私。「こいつはダメな学生だ」と思われたんだろうな。まともな話なんて、これっぽっちも出来ない。保証人の曹さんには24歳なのに、4歳の息子と同じ対応されて、愕然とした。
子供じゃねっての・・・・・。


あれから8ヶ月がたった。ハカセは8ヶ月間の地元住民を対象とした強引聞き取り調査の成果が実り、発音はさておき半日常会話くらいはクリアした中国語レベルに達していた。


だっから今回は、なぁんとあのBダッシュ級のイングリッシュトーキングは出現しなかったのである!!全部中国語!!めちゃんこうれしかったわ~。ゲーリーすごいだろう??4月はよく二人でねぎちゃんにピンイン教えてもらっていたね。覚えている?「ニーピァオリャン(あなたはきれいです)ピエンイーディアー(安くしてください)。」っていう負け方も二人でねぎちゃんから教わったんだよね。それで市場で実践したり。今の私はそんなのへである。


言語の上達(そうだよなぁ、外国に8ヶ月もいたらこれくらい誰でも到達できるレベルだよ。普通だ)はさておき。この中途半端な中国語が私の今後の研究人生を明るいものへ導いた。


植生学(自然科学)の担当教官と農業経済学(社会科学)の先生が私と共同研究をしようと持ちかけてくれたのである!!「あなたの研究は中国の生態保全に欠かせないものとなる。一緒にやればもっと良いものになるだろう。」と。
うっそ!!この私がこんな内モンゴルでは超有名人な先生方二人と共同研究だって!?願っても無いチャンス到来!!
いつもの私なら「もちろん!喜んでお引き受けします。」というところを、ここで調子に乗ってしまってはダメだと心を抑えて「日本の担当教官が許可をしてくれたら、その方向で話を進めてください。ただ、前向きに検討します。」と冷静な回答をした。


緑化隊の人達や私達がともに汗を流して協力し合った中国の辺境地に暮らす少数民族は、ことに生態保全に関して国家からの風当たりが強い。「粗野な習慣を持った人」「粗野な習慣が環境を悪化させた」「悪いのは少数民族だ」と、ひどいでしょ?あんたら国家が作った政策はどうなんだよ!?悪いのは彼らだけかよ?って言いたくなる。悪口ばっかり言われたら、誰だって国のために働きやしない。そんなの小学生だってわかることだ。だから、4月から現地入りして「どうやったら地元住民を主体とした生態保全ができるだろう?」「地元住民を生態保全の素敵な主役にする方法って何だろう?」って思って研究をしてきた。頭の中はばかみたいに研究のことだらけ(本職だから仕方ない)。研究の話をしている時が一番楽しい。


最近思うこと、やっぱり日本人の小娘だけで大陸を相手にするのは限界があるよ。あたしが中国人だったら、相手にしない。だから今こうして強いバックをつけたので、上向きなそよ風が吹き始めた!!


う~ん、でもこれを生かすも殺すも自分しだい。まだプロジェクトは始まっていないから。今、自分に出来ることを精一杯やって絶対にこのチャンスをつかむんだ!!ブログを愛読している皆さん、すみません。私はいつもこんな風に研究のことばかりで。でも、命かけてますから仕方ないんです。


お知らせ:2005年4月4、5日に東京農業大学でおこなわれる学会に発表者として出ることが決まりました。ここではこの8ヶ月の成果をどどーんと発表して叩かれてくる予定です。このことに関しては来年ここで報告しマース。
こんばんは、ゲーリーin JAPANです。
それでは番外編。


空港に迎えに来てくれていた両親は腕の様子を見て愕然としていた。
本当に冗談抜きで曲がっていたからだ。
空港にあるレストランで食事をしながら父は言った。
「ほんまに治るんか?」
いや、あんたが帰ってくるなと言ったからこうなったのではないか?
あの時帰っていれば楽勝だったと思うのだが…。
まあ、それも親心。


あたしの症状の悪さにショックを隠しきれない両親は
地元の病院に行く予定をキャンセルし、元看護婦で神戸に住む叔母に連絡をとった。
関西で信頼のおけるよい病院を紹介してもらおうと考えたからだ。


あたしは叔母の家に1泊することになり、叔母の帰りを待った。
その間、おばあちゃんと話をしていたのだが
「どうしてそんなとこ(中国)に行ったんだ」と延々つっこまれた。
おばあちゃんはおばあちゃんと呼ぶにはもったいないくらいきれいな人で占いが得意な人だ。
「あんたは北に行ったらあかん、自分から鬼門に行っている。西に行くべきだ」から始まり、「ずっと吐き気があって下痢が続くような薬は体にあってないんだから止めればよかったんだ。そうせな死んでたよ」とまで言われた。
実際は死んではないのだけど、それもそうだと納得した。
しかしあの状況では飲むことをやめることはできなかったので仕方ない。


そうこうしてる間に叔母が帰宅したので一緒に近くの開業医に行った。
診察が始まり、まずレントゲンを撮った。
そこのレントゲン技師さんに「治るでしょうか?」と聞いてみた。
彼は「それは僕らが答えたらあかんねん。医者じゃないから。」と言い、「しかし、ちょっと怖いわ…」と言った。
怖いってなに!?そんなおっそろしいほどヤバイ状態なのですか!!
あたしは一気に恐怖のどん底にたたきつけられた。


医者の診察がはじまった。
先生は腕とレントゲンを見比べてうなっている。
「ちょっとどうしてあげたらええか悩むわ~」
え?え?どういうこと??
「手術したほうがいいようにも思うけど、傷が残るし…。かといってギブスで固定してもなぁ…。」
きゃぁぁぁ!!手術!?イヤすぎる…。
「もうちょっと大きい病院紹介するわ。」
さいですか…。


結局あたしは大きい病院に行くことになってしまった。
その日は土曜日だったので、一旦実家に戻り、月曜日に両親と車で行くことにした。
ちなみにその病院、事故などの治療で関西トップクラスの病院。
春に起きたJRの脱線事故でも活躍したところなのです。


月曜日、とりあえず入院の準備をして病院に向かった。
両親もあたしも十中八九手術になるだろうとふんでいた。
こんなのギブスで治るわけないやんって感じだ。
でも手術の経験なんかないし、イヤやなぁと気分はかなりダークだった。


経験豊富そうな先生は新しく撮ったレントゲンを見て一言
「ギブスで治しましょう」と言ってくれた。
マジ?マジですか??やっりぃぃぃ!!
こういうの!!こういう人を名医って言うんだよ!!


それにしても最近のギブスってのはものすごい簡単な作りで驚いた。
小学生の頃友達の腕を見たときは、周囲をガッチリ石膏で固定してあったのだけど、あたしのギプスは長い布?綿みたいなのを水で濡らし、肩から手首までの長さで切って固定しながら包帯で巻くというもの。
その綿はしばらくすると固まって、腕の土台みたいになるのです。
これならかゆくなっても包帯のすきまからかけるし、かなり快適だった。


それから3度病院に足を運んだ。
その度に先生は「そんな遠くからこんでも家の近くに病院あるやろー」と言った。
確かにあるけど先生みたいに名医はいないと思います。(尊敬)
「やっぱり手術せんでよかったなぁ。若いし治りが早いわー。次きてもう1回レントゲン撮ったら終わりにしましょう」と言ってくれた。


ちなみに今の腕の状態は多少曲がってはいるものの、これは折れた骨の周りに新しい骨がぐるっと囲むようにできていて、そのうち削れていってまっすぐになるので大丈夫らしい。
日常生活にもなんら問題はない。
次の診察は来年1月だ。
あたしの骨折騒動はこうして幕を閉じたのである。

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