こんばんは、ゲーリーin JAPANです。
それでは昨夜の続きをどうぞ…。
全員でカンチカの宿舎に戻った私はさっそくもらった包みを開けて漢方薬をとりだした。
みるからに土である。土色なのである。
木の欠片みたいなのも見える。
なんじゃコレ…。こんなん飲むんかい??とりあえずカレー皿の深くなったような大きなお皿に取り出して砂糖を入れてお湯を注いだ。
大量の泥水…。第1印象はこんな感じだ。
とりあえず飲んでみる…。
まっずいっ!!まずーーいっ!!なんつうまずさだ!!きなこ風味な感じはするけど何かが違う。
飲めども、飲めども減らない…。
吐き気をもよおしながらなんとか完食。
私が飲んだのを見届けて他のメンバーは食事に出かけていった。
その直後、突然ものすごい吐き気に襲われてトイレに駆け込んだ。
「吐き気はすると思うが絶対に吐くな!!」と例の
迷医名医に言われていたが、そんなことはしったこっちゃない。
あたしはまんまと吐いてしまった。
うあー絶対ムリ…。包みはまだ2日分あった。
その夜、激しい下痢に襲われた。汚い話で恐縮だが本当なので仕方ない。
眠ることもできずトイレの往復が続いた。
次の日になっても吐き気と下痢は続いていた。
おかげで食事は喉を通らなくなった。
毎晩『鳥が家に帰る時間(ちなみに6時半頃のようです)』が怖くなった。
飲みたくなかったし、吐き気のせいで飲めなかった。
それでも周りから「飲みなさい」とプレッシャーをうけ、私は飲まざるをえなかった。
3日間ずーっと吐き気と下痢は続き、夜も眠れず食事も喉を通らなかった。
私の精神はズタボロになって、両親に電話をかけて帰りたいと泣きついた。
骨を折る前から帰国は9月30日と決めていたのだが、その時は残り2週間足らずを中国でこの薬と共に過ごすのが心底辛かった。
その際、父は電話口にハカセを呼び出してこう言ったそうだ。
「なんとか最期までおらせてやってください。」
正直その時は
何で帰らせてくれんのんや!!と腹がたった。
しかし今となってはそれで良かったと思っている。
あの時途中で帰国していたらきっとまた心残りができただろう。
でもまあ、それが分かるのはまだまだ先の話しなのだが…。
電話後、あまりの辛さにハカセに泣きついた。
「もう本当に飲めないよ…」彼女の前で恥ずかしげもなく号泣した。
ハカセは「それじゃあ飲まなくてもいいように先生に言ってみよう」と言ってくれた。
そしてその後、前回の醜態を晒すはめになるのである。
さて、何でそんなにイヤだったのか。ちょっと分析してみた。
まずい心底まずい。こんな味今まで食べたことない。
あの匂い、味、思い出しただけで吐き気がする。
ドロドロとした食感も否めない。
量が多い半端ないほど多いのである。
最初はカレー皿1杯分ほど。
日がたつにつれ、量は多少減ってはきたが、それでもご飯茶碗1杯分はあった。
成分不明この薬、例の名医が独自に調合しているもので一子相伝の技らしい。
奥さんもその中身については知らないそうだ。
何が入っているのか分からない、もしや虫とか??とりあえず木が入ってるのは間違いないと思われる。(だって欠片あったし)
さてここで余談だが、この名医について神と称される伝説が1つある。
彼はけっこうな歳になるまで独身でいた。
ある時薬の材料の調達のためか、はたまた修行か知らないが中国の南にあるとある街にいたそうだ。
そこで、足の悪い女性と出会う。
彼女はどんなお医者がみても全く治らず途方に暮れていた。
彼女の両親が「この子を治してくれたら嫁にやる」と言ったそうだ。
そこでなんと名医は治してしまったのである。
その彼女が今の奥さんなのである。
彼はその腕で嫁さんまでGETしてしまったのである。
すごい話だ…、年の差もかなりあるというのに。
さて、3日が過ぎ名医のもとへ診察へ行った。
大滝さんに「もう飲めない」と通訳してもらったが、当然のようにはね返された。
「これを飲まんと治るわけない」というのである。
当然だ、彼の最大の武器とも言える漢方薬なのだから。
「そんなん飲んだらよけい悪なるわい」と思いながらも私のわずかな望みはあっさりと絶たれた。
涙ぐむ私を不憫に思ってくれたのか大滝さんは名医にいろいろ質問してくれた。
これはお湯以外に溶かしても大丈夫なのか?
なんとか味をごまかすために何かと混ぜようという作戦である。
どうやら何と混ぜても大丈夫らしい事が分かった。
宿舎に帰って、落胆する私のためにさっそくみんなが考えてくれた。
牛乳、ヨーグルト、コーラなどなど。
とりあえずその晩牛乳で溶かしてみることにした。
う…とりあえず飲めなくもない。
まずいし吐き気はするがお湯と比べると全然飲みやすくなっている。
それでも完食までに15分はかかる。
私はこの
最終秘密兵器:牛乳で、骨折に立ち向かうことを決めたのである。
しかしそれでも食事は喉を通らなかった。
日に日に痩せていく私に大滝さんは「もっと食べろ、もっと食べろ」とお皿におかずをよそってくれた。
その行為はとてもうれしかったのだが、本当に食べれないのだ。
夕食の麺はほんの一口程度。
朝食のおかゆも一口程度。
日に日に痩せて体力も落ちていった。
その間も緑化ツアーは行われているわけで、私は3隊の方々と会えなくなってしまった。
みんなが出かけているときはベッドの上で音楽を聴いていた。
毎日疲れてはいるが、充実した顔で帰ってくるメンバーが心底うらやましかった。
みんなの帰りを待ちながら、夕食を作ってくれているシンウェイに牛乳を温めてもらい、必死で薬を飲む毎日が続いた。
つづく
次回予告!!弱り切ったゲーリーがとった行動とは?
名医の診察に白酒は必須?
果たして無事帰国することはできたのか!?
次回「骨折最終話」をお楽しみに!
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