診察の際、毎回ひもと添え木を取るのだけどそのたんびに白酒が登場した。
彼はそれを口に含み吐きかけるのだ。
よく中国の映画とかでやってるあの感じである。
不衛生なこと極まりないのだが、さらに彼は毎度毎度的をはずすのだ。
おかげで腕から体からジーンズからべとべとになるのだ。
ただでさえお風呂の回数が少ない上に、添え木のおかげでまったくお風呂に入れなかったあたしは、とことん白酒臭かった。
たまったもんではない…。
トンラガさんも一番最初にやってくれたが、彼は見事に腕だけを狙ってくれた。
なんで名医は的をはずすんだろう?とよくよく見てみると
彼には歯が数本なかった…。昼過ぎに診察に行った際はひどかった。
その時、彼は酒に酔って寝ていた。
まあ、その地域ではお昼はお酒を飲んで、2時過ぎとかまで昼寝をするのが普通のようなのでおかしくはない。
しかし、診察が始まりいざ添え木のひもを取ろうとする手が震えている。
顔も真っ赤だ。息も酒臭い。
震える手でしどろもどろとひもの結び目をほどこうとする名医。
だがまったくはずれない。
結局奥さんにはずしてもらった。
さらにひどい話がある。
添え木をとめているひもなのだが、思いっきりきつくしばるため二の腕のお肉をまきこんでしまい非常に痛かった。
あまりの痛さに眠れなかったほどだ。
まるで四六時中誰かにつねられている感じ。
あたしが「イタイ、イタイ」というのでハカセと大山羊さんが包帯を探して買ってきてくれた。
幅広な包帯で巻いてくれれば肉をはさまないし痛くないと思ったからだ。
包帯を手に診察に行き、「これで巻いてくれ」とお願いした。
名医はさっさか巻いてくれたが、包帯をひものように細くして
巻きやがった巻いてくれたので、結局イタイままだった。
「これじゃーイタイっつってんだろ!?あぁ!?」
と丁寧に言ったが
「きつく巻かんと添え木が動く。動いたら骨が歪んでつくぞ」
と反論された。
今でもひもの跡が腕に残っている。
添え木でお肉をはさみ圧迫するためか患部にたくさんの水ぶくれのようなものができた。
名医はそれをつまようじで潰せと言った。
驚きである。日本でならまず考えられないだろう。
潰した後には
とっておきな薬プロポリスがぬられた。
しかし潰した患部は延々体液が出続けふとんからTシャツから大変なことになった。
ちなみにこれもまだ跡が残っている。
こんなこともあった。
あたしがあまりにひどい下痢に悩まされていたため、大山羊さんが
「下痢を治す薬とかなんかはないか?」と聞いてくれた。
しかし名医は
「俺は骨の医者だから知らん。骨さえ治りゃいーんだ」と言った。
だからあんたは東北3省でしかトップになれんのだよと思った。
そうこうしてる間に帰国の日は刻一刻と近づいてきた。
最初の診察で帰国前には腕を振って帰れると余裕で言っていた名医もだんだん焦りだしてきた。
なぜならあたしの骨は曲がってくっついていたからだ。
添え木の当て方とか寝るときの体制やなんかが悪かったのと、骨のくっつくスピードが地元民より遅かったためと思われる。
苦労して飲んだ薬もそれほど役に立っていないようだ。
それでもあたしは帰国の準備をし始めた。
体が弱っていて、少し歩いただけで頭がクラクラした。
食べ物もろくに食べていなかったせいもあるし、日がな一日ベッドで過ごしていたせいかもしれない。
とりあえず歩けるようにならないといけないと思って、ガボウの宿舎の周りを歩くことにした。
最初は1周するだけでかなりしんどかった。
こんなに体力ないのか、あたしは…。とショックも大きかった。
それでも帰国のために毎日毎日何周も歩いた。
歩けるようになっても一つ大きな問題が残っていた。
大きなスーツケースとリュックを1人で抱えていけるのかということだ。
この件に関してはもめにもめて、結局大山羊さんが空港までついてきてくれることになった。
帰国前日から空港のあるシンヨウのホテルで1泊することになっていたので、大山羊さんとともにシンヨウに向かった。
最後の診察の時、名医はとうとう添え木をはずしてくれなかった。
次ははずす、次こそは…と言っていたがあたしの骨は曲がったまんまで
添え木も1本を残したまま帰国の途につく羽目になったのである。
中国語の堪能な大山羊さんのおかげで空港ではかなりラクだった。
出国ゲートのギリギリまで来てくれて本当に助かったし感謝している。
飛行機に乗ってからもフライトアテンダントさんにやさしくされてかなり快適だった。
日本についてからもコンベアでぐるぐる廻ってくる大きなスーツケースを近くにいたスーツ姿のナイスな紳士にとってもらった。
空港を出るとそこには両親が迎えに来てくれていた。
-そしてそのまま日本の病院に直行したのは言うまでもない。
スポンサーサイト